| 第2回:WTO農業交渉(上) 〈世界貿易機関(WTO)農業交渉は決着への展望が見い出せない中、引き継いだ。カンクン閣僚会議での決裂を経て、ジュネーブでの枠組み合意に至る1年4ヶ月の軌跡を振り返る〉 私が就任したのは2003年4月1日。まさに当初目指した3月31日のモダリティー確立ができなかった直後です。総理からも、しっかり対応するよう指示がありました。 まず最初の大型連休を使って欧州を訪れました。フランス・パリでEU(欧州連合)のラミー貿易担当委員、ベルギー・ブリュッセルでフィッシュラー農業担当委員にお会いした。スイス・ジュネーブではWTOのスパチャイ事務局長、ハービンソン農業交渉グループ議長と会談し、日本の立場を主張しました。 カナダ・モントリオールで7月28〜30日に開かれたWTO非公式閣僚会議の直前には、日本と対立していた米国とカナダを訪れ、ゼーリック通商代表やベネマン農務長官、バンクリフ農業・農産食料大臣らと会談しました。 モントリオール非公式閣僚会議は、私としては初めての多国間交渉でした。大きな会合で初めて顔を会わせたところで、相手の理解は深まりません。やはり個別に会って、私自身の言葉で話をしないと、人間関係はできないからね。 〈行き詰まった交渉を打開しようと、米国とEUが共同提案をつくることを表明。9月のメキシコ・カンクン閣僚会議に向けて動き出した〉 モントリオールを経て米国とEUが、上限関税を含んだ共同提案を作り始めた。日本にとって大問題です。こっちも夏休みを返上して、EUや米国にいろいろ働きかけました。アイスランドの山奥で休養中のフィシュラーをつかまえて電話会談もしました。通信事情が悪く、1時間半も待たされたなあ。 もともと日本とEUは立場が近かったこともあり、上限関税の導入について、EUは「これを入れたら日本がのまない」と、米国に相当強く抵抗してくれました。そのために、米国の交渉官から「なぜEUは日本の立場をそんなに言うんだ」と嫌味を言われたとか。しかし、交渉を進展させるためには、米国がこだわる上限関税を認めざるを得ない、という判断にEUも傾いたようです。 9月10日にカンクン閣僚会議が迫っていた。8月27〜29日には1泊3日で急きょ、ブリュッセルに飛んであらためてフィシュラー、ラミーと会談し、帰国後すぐに9月2〜4日という日程で米国・ワシントンを訪れ、ベネマンと会談。上限関税など日本の譲れない点を訴えました。本当に必死だった。カンクンに行く前に一度、日本に戻ると言ったら、ベネマンから「大臣は、そんなに飛行機に乗るのが好きなんですか」と言われたよ。
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